~ほのぼの・ぽかぽか~
猿追い祭

片品村はきっと寒い(涼しい)と思いながら、片品村花咲(はなさく)へ行ってきました。
お目当ては『猿追い祭』
 
【猿追い祭とは…】
片品の猿追い祭は、旧暦九月、真ん中の申の日に鎮座する武尊神社で、大字花咲の鍛冶屋、山崎、登戸、栃久保、栗生、針山の六つの集落が参加して行われる祭で、組という地縁集団とイッケと呼ぶ同族集団が、特定の役割を分担しあいながら行われる。
祭りは集落ごとに組内でまわり番で、サカバン、ヒツバンという当番をつとめる。
サカバンは甘酒を用意し参加者に振る舞う。ヒツバンは赤飯を用意し、神事の後に神社拝殿の前で、東西に向かい合い赤飯を交互に投げあう。
この後、拝殿に集落別にイッケの代表が東西に分かれて着座し、謡が行われる。
最後の曲である「千秋楽」が始まると同時に、白装束の猿役が口に半紙をくわえ、手に幣束(へいそく)を持って神社のまわりを右に三周しこれをサカバン、ヒツバンが追いかけ、祭が終わる。
この行事は、猿の害を防ぐために始まったとの伝承があり、参加者の席次が固定し、役を務めることのできる家が特定されるなど、東日本には珍しい宮座的な組織によって行われる貴重な行事である。
(参考・片品村教育委員会)
 
猿追い祭
 
祭りの始まりは神事から。
祝詞奏上、玉串奉献などが行われます。
 
このあと、「エッチョー・モッチョー」と呼ばれる行事が行われますが、これは豊作・繁栄を祈って「エッチョー(栄長)」「モッチョー(茂長)」のかけ声に合わせ、赤飯を投げあうそうです。
時間の関係で、残念ながらこの行事は見られず、写真も取り損ねてしまいました。
 
続いて「謡」(うた)の交換(東・西の順で「高砂」「四海波」をうたい、3曲目の「千秋楽」は東西でうたう)が行われ、最後の曲「千秋楽」が流れ始めるといよいよお待ちかねの「猿」登場です!
 
猿追い祭 猿追い祭
 
猿は社殿の周りを3周しますが、それを皆で追いかけ回すのがこの祭りのメインイベントです。
役員・地区の子供・それから参拝客、自由参加でとにかく追いまわします。
この時、決して猿を追い越してはいけないそうです。なんでも不作になるとか…。
 
猿追い祭 しかし今回の猿は足が速いらしく、あちこちから「猿速すぎるよ」「猿もっとゆっくり」「猿が追い越しちゃうんじゃないか?」などなど笑いがこぼれていました。
子供達も一生懸命走っていましたが、全く追いつきませんでした。(^_^;)
 
猿が3周走り終え、社殿に飛び込んだら、そこでお祭りは終了です。
とてもほのぼのとした面白いお祭りでした。
 
 
追伸①
紅葉のとても綺麗な、ぽかぽか陽気でした。
武尊神社のかえでは、この通り。
猿追い祭
 
花咲へ行く途中の仙の滝もこの通り。
猿追い祭
 
山々も燃えているようでした。

 
追伸②

ありました!譽國光!
猿追い祭
 
神社の御神酒が譽國光!
神社の中で注がれていたお酒も、譽國光!
めちゃめちゃ嬉しかったです!

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庚申

Filed under: 伝承,川場村,文化財,譽ブログ(従業員日記) - タグ: , @ 2009年5月15日 12:00 PM

~昨日案内すれば良かった~

  

庚申

 
本日、かのえさる(庚申:こうしん)です。
約二ヶ月に一度の今日が、あの日です。
この写真を撮ってきてから思ったのですが、昨日この日記を書いていれば、今日皆さんも気付き、三戸のお世話にならなくてもすんだ人がいたかも知れませんね(笑)。
 
※三戸については、3月16日の日記をご覧下さい。
 
 

と言うことで、今日も庚申信仰についてのお話しです。
 
愛宕山の頂上には大きな岩がたくさん露出しているが、その岩面に庚申の文字がびっしりと彫り込んである。
と、川場村の文化財(川場村教育委員会発行)に書いてあり写真も載っているのですが、その岩はいくら探しても見つかりませんでした。
それでも、他にたくさんの庚申の文字がありましたので、一部ですが、ご紹介します。
 
庚申
 
庚申の信仰が発展して行く中、数の力でその功徳を得ようとする人間の知恵が百庚申の発生を見せるのであるが、岩に庚申の文字を彫る例は珍しい。(県内では太田に一ヶ所あるだけ)それぞれの書体が違う点から見て、何人もの人々がこれを刻んだようである。
 
庚申
 
三戸の虫に告げられては困る罪を何人も多少は犯しているもの。
これらの岩にそれを償う意味でこの文字を刻んだものであろう。
 
庚申
  
次のかのえさるは、7月14日。
皆さんも譽國光を片手に、昔の人のことを思いながら夜更かしされてみてはいかがですか…。
んんんん?三戸が動くのは、前の日からの夜か?、次の日にかけての夜か?どっちだ?
この件は、宿題と言うことで、もし分かれば、ご報告致します。
 
 
追伸、
実は、今日のかのえさるの事を気が付いたのが、一昨日なんです。またまたやりました。冴えてます!

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二十一夜

Filed under: 伝承,川場村,文化財,譽ブログ(従業員日記) - タグ: , @ 2009年3月17日 12:00 PM

~連日寝られません~

 
二十一夜
昨日は庚申で寝られない夜を過ごしました。
そして、本日は二十一夜で、女性にとっては大切な夜です。
今日の月の出が、このあたりでは24時30頃とのことですので、女性は二日連続で寝られないということになります。
重なってしまった場合には、一体どちらを優先していたのでしょうか…。
 
文字碑の月待塔も相当数建てられ、石仏群の一角には必ず一基や二基それを見ることが出来る。
二十一夜塔がその中でも一番多いようで、女性の講が盛んだったことが分かる。
写真の月待塔は新井の旧道に見られるものであるが…実は、昨日の庚申塔の裏側にありました。
昨日は、庚申塔がやっとのことで見つかったので嬉しくて周りは見ませんでしたが、これを読んで「もしかして」と思って行って見たら、案の定、すぐ後ろにありました。
…二十一夜塔と思われる。
 
二十一夜
変わった書体で最初何の塔か読めずにいたが、よく見ると二十一夜塔である。
※分かりやすくするために加工してみました。
峻和敬書と銘が入っているが、他にこの形式を見たことがなく、峻和という書家の存在もはっきりしない。

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庚申塔

Filed under: 伝承,川場村,文化財,譽ブログ(従業員日記) - タグ: @ 2009年3月16日 12:00 PM

~ 私、丙午の学年でございます ~

 
庚申塔
庚申とは、かのえさるの日、またそれにあたる年で、甲乙丙の十干と子丑寅の十二支の組み合わせである。
約二ヶ月に一度、年に六回程度庚申の日があり、六十年ごとにその年がやってくる。
本日、三月十六日がその「かのえさる」にあたる。
庚申信仰の思想とは道教より発したと言われ、人の身体の中に三戸という虫がいて、六十日ごとにやってくる庚申の夜、体内より抜け出し、天に登り、その人の日頃の罪を天帝に告げる。
天帝はその報告を基にしてその人間の生命の長短を決めたり、天罰を下したりするという。
三戸の虫の報告を止めるために、人々は庚申の夜は眠らずに一夜を明かす。
それが、多くの人で講をつくり、にぎやかに夜の明けるのを待つようになっていった。
その講中で造り出したのが庚申塔である。
形式としては数々あるが、文字による庚申と青面金剛像を主尊とした庚申が一般には多く造立されている。
刻んだ青面金剛王様を主尊とした庚申塔をいたる所で目にする。

※谷地新井の旧道の所に立つ像。
元禄期の造立で、右は、二鶏と青面金剛様の神使で、見ざる・聞かざる・言わざるの三猿。
左は、二鶏と二猿で、両方とも堂々とした主尊を備えた重厚な像刻塔である。
 
庚申塔 庚申塔

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虚空蔵堂

Filed under: 伝承,川場村,文化財,譽ブログ(従業員日記) - タグ: @ 2009年3月5日 12:00 PM

~ 昨日の続き ~

虚空蔵堂
いや~見事に溶けましたねぇ。これは今朝9時頃です。
もう少し残るかと思いましたが、暖かいです。
そして、今日はまた虚空蔵さんへ行ってきたので、少し長くなりますが、清岸院虚空蔵堂のご紹介もしてみます。

譽國光の前の道を南に。
田園プラザから約800mを右折です。
虚空蔵堂

この交差点は、譽國光側から向かった写真で、南向きに撮っています。

ここの左角が公民館で、反対に左折すると、白沢を通って国道120号線日光方面へ抜けられる近道です。

虚空蔵堂
↑虚空蔵堂への入口です。なんとなく山登りといった感覚。

その先の↓階段は四百五十六段です。階段慣れした方(どんな人?)でもキツイと思いますよ。
 
虚空蔵堂能満山清岸院

宗派 曹洞宗
沼田市舒(じょ)林寺末

本山 永平寺 鶴見総持寺

本尊 能満虚空蔵大菩薩

草創 天長四庚申年三月
天保十一年二月焼失す。

虚空蔵堂
清岸院の持である。

本尊 能満虚空蔵大菩薩

虚空蔵堂

由緒 平安時代の初期天長四年(827年)の創始と伝えられる。
その後、堂はなくなったものか永禄三庚申年(1560年)三月建立と言われる。
なお、承応二年(1653年)真田内記信正の家臣、鎌倉重継の発願により、沼田城の鬼門除けとして改築された。
元来、虚空蔵山が宗教と結びついた端緒は山岳宗教であろう。
山頂に十数㍍の巨岩があり、本尊の虚空蔵菩薩は、空海上人が刻んだと伝えられている。
この堂は、地元の立岩地区ばかりではなく付近の村々の住民からも尊崇され、利根郡内でも著名な堂の一つである。
また、ウナギは虚空蔵菩薩の御眷族(ごけんぞく…神の使い)と信じて、今でも捕らえることはもちろん、食べることもしない人もいる。
 
清岸院の左、杉木立の中を通り、少し登ると石段にかかる。
参道の石段四五六段は、天明五年(1785年)に着工、寛政九年(1797年)に完成した。堂の虚空蔵菩薩を中心とした十三佛のうち、十二佛尊像が石段左右に安置されている。
 
※十二佛尊像は、また後日、ご案内致します。
本堂は宝形造りで正面に唐破風の向拝をつけている。
もとは茅葺き屋根であろう。今は銅板葺きで軒が長く二重繁垂木で、柱は丸柱とし、一面四本建である。桁の彫刻蟇股(かえるまた)の造りから見ると江戸初期頃の造りであろう。本堂と向拝の建築の年代に風化に違いがあるので、向拝は後補の可能性がある。
出組、唐草文様、木鼻からみて江戸中期の後補であろう。

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大きな鬼

Filed under: 伝承,川場村,譽ブログ(従業員日記) - @ 2009年2月14日 12:00 PM

~ どんな大きさなんだろう~

 
大鬼やダイダラボッチと呼ばれる巨人の話が、あちこちの伝説として聞かれますが、川場では次のような伝説が、谷地の愛宕山に伝わっています。
 

愛宕山と大塚山

 
それは大昔のこと、大きな大きな鬼が金棒の杖をついて、のっしのっしと山の方から歩いてきた。鬼なのに下駄をはいていたという。
その下駄の歯に土がつくと歩きづらい。そこで鬼は金棒の先で下駄についた土を落とした。
その時、金棒についた土が落ちたのが愛宕山で、下駄から落ちた土が大塚山だと言われています。
 
ポツンと平地にある先のとがった愛宕山を見ると、本当に金棒の土が落ちたようで楽しいですね。
 
 

大塚山
 
大塚山は、今は平らにされて、農村公園として利用されています。

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