会社沿革 譽國光の歴史

群馬県沼田市に明治40年に創業致しました。
譽國光という難しい名前は、「我が國が、譽れ高く、光り輝きますように」という創業者の熱い思いからつけられています。
老舗と呼ぶにはまだまだ浅い歴史ではありますが、創業者がお酒を造り始めてからの120年(創業してからは約100年)の間には、色々な出来事がありました。
二代目土田國太郎は、全国酒造組合中央会会長を務めました。
そして、関東で唯一の名誉賞を受賞した蔵でもあります。
※名誉賞とは、戦前に行われていた品評会(現在の新酒鑑評会)に連続で入賞した蔵だけに与えられる名誉ある賞です。
当時は輸送手段も今のように発達しておらず、そういう悪条件の中でも酒の品質が劣化しないような強さと旨さがなければならなかったのです。
また、その当時の日本酒の酒蔵の数は今の倍以上もあり、その激戦を連続で勝ち抜いたものだけに贈られる「名誉賞」を獲得したのです。
全国でも、この快挙は数蔵しか成しえませんでした。
そのことは、現在の譽國光のラベルの文字とも関係がありますので、少し長くなりますが、今しばらくお付き合い下さい。

初世 中村 蘭台(なかむら らんだい)

篆刻(てんこく)家  1856~1915  会津若松生まれ  本名 稲吉  別号 蘇香・香草居主人  明治以降印壇の大家

会津藩士の子として生まれ、戊申戦争後に東京に移住。
初め、高田緑雲に学び、のち徐三庚(じょさんこう:中国浙江省)の篆刻(てんこく)に触れ、柳媚華麗の風を追求。
古印・鐘鼎(しょうてい)・秦漢器等を研究し多彩な表現を見せた。
21歳の頃、中国(明・清)の諸家の印譜を見て「篆刻」に志す。
※篆刻(てんこく)とは、木・石・金などに印を彫ること。
近代書史論には必ず名前があがります。

蘭台は多くの作品を残しています。
有名なものは「浅草・浅草寺 正面石段の柱」「日本橋・三越本店 金文字看板」などで、いまだに貴重に保存されています。

美術館にも作品が多く保管されており、文字を勉強する人のとっては、必ずと言っていいほどに目を通す作品となっています。

また、その道を受け継いだ次男である「二世 中村蘭台」は、川合玉堂(かわいぎょくどう)・横山大観(よこやまたいかん)・伊東深水(いとうしんすい)・東山魁夷(ひがしやまかいい)などの日本画家の印を多く残す実力者であり、昭和天皇・皇太后の自用印の謹刻を作ったことでも有名です。

当蔵の酒も、昭和天皇が全国植樹祭の折りにご賞味され、お褒めを頂いており、見えない縁というものを感じます。
その蘭台の刻印が「譽國光」のラベルになっています。
これは群馬では唯一であることはもちろん、日本でも唯一のことであります。
書に精通した方が当蔵の「譽國光」ラベルを見ると、その風格ある文字から蘭台であるとすぐに分かるといいます。
当蔵の酒が蘭台の心に通じ、蘭台自らが篆刻したものが贈られてきました。
それが、この刻印です。
歴史と伝統ある蔵故に贈られた、とても栄誉のある文字であり、それに敬意を表し、國太郎が当蔵のメインブランドラベルとしました。

当蔵の酒の品格は、この蘭台の文字がお酒に移っているのかも知れません。